0120−519−710
AM 9:00-PM 18:00

万年筆の名入れの思い出

この記事は、【お急ぎ 名入れボールペン 】=株式会社プログレ様の ウェブサイト制作を行わさせて頂いている者が書きました。 また、この記事の内容について、【お急ぎ 名入れボールペン 】様が何らの責任を負うものではありません。
私は、学生時代を京都で過ごしました。俗に関関同立と呼ばれる京都にあるR大学でした。

友人で名古屋出身のM君が、パーカーの万年筆を持っており、 たまたま目の前で実際に書いてくれたことがあります。すごく書きやすそうで、それ以上にフランス製の特徴かどうか デザインが抜群でした。うらやましくなり、私もなけなしの小遣いで同じパーカーの万年筆を購入した思い出があります。 どうやって、1万以上もひねりでせたのかは覚えていませんが、学生には大きな出費でした。 買ったのは、大学の生協??だったように思えます。はっきりとは覚えていません。

自宅からは遠いので下宿しておりました。
ちなみにM君は卒業後は、当時のS銀行へ。シビアなことで有名な都銀でした。よくあんなきついとこ入るな???
M君は、身長175cm程、美男子、頭脳明晰(IQは、150以上。中学時代の数値。本人の弁)で、高校時代ほとんど勉強しなかったせいか、私と同じR大です

ちなみに当時のR大学は、名古屋出身がめちゃめちゃ多く、M君曰くは、「名古屋の私立大学に入るのは恥や!」などと失礼なことを申しておりました。

当時のR大学は、私の印象では、進学校の落ちこぼれが多かったという印象が強かったです。同じ下宿の横の部屋のH君も名古屋出身で、 岡崎市にある進学校(市の名前に北がつく高校)出身で、高校時代に、教師に、「どこの大学なら行けます?」と聞いたところ、 「名古屋のMJ大学なら行ける」と言われたそうで、その時は、少し落ち込んだとのこと。 (万一、この記事を名古屋のMJ大等の関係者様が読まれた場合には、お怒りになるでしょうから、この辺でやめます)

H君の苗字は、Hをロゴマークにしているある自動車メーカーの名前を漢字にし、「だ」を「田」ではなく「多」にした名です

徳川家の家臣として非常に有名な「○○忠勝」と同じ苗字です。 しかも、徳川家の本拠地である岡崎出身、家は、昔は質屋でした。(明治維新後、士族が非常に多く営みました。今の質屋のイメージとは全く異なりますのでご注意。威張っていられたからです) 恐らくは、世が世であれば、私なんぞは、「ははーお殿様」という感じで土下座でしょうね。!

ちなみに、私の場合には、父方のご先祖は、下級武士であったようで、壬申戸籍という今は研究目的ですら閲覧できない明治初期に作成された戸籍には、「旧士族」 となっていると、今は亡き父から聞かされたことがあります。ちなみに、父は次男坊で結婚する際に、母の苗字を名乗りました。

あまりにも話が脱線しましたので、万年筆に戻りましょう

日本語を書くには、やはりボールペンよりやはり万年筆を使ったほうが楽ですね。特にパーカーは、デザインがいいの一言です。
当時は、万年筆に負けないぐらい疲労度が少なく書けるクロスのようないいボールペンのことなど、とんと知らなかったのです。

ところで、私は、当時、今は亡き父から貰った万年筆をもう一本持っていました。
山の名前がついているドイツのメーカー製です。こちらは、デザインはドイツ製らしくあまり良くなく、黒一色で光沢も全くありません。 実用一点張りのようでした。
授業のノートを書く際や、試験の答案を書く時などに万年筆を使いましたが、(勿論、卒論も)その際、どちらを使ったと思われますか?
実は、ドイツのメーカー製の方を使う頻度が多かったのです。
理由は、単純で、パーカーの万年筆で書くと字の線が太くなり、反対にドイツ製で書くと字がパーカーの万年筆で書く時に比べかなり細く書けたからです。
私の好みで文字の線が細いほうが好きなのです。
ボールペンでも同じでしょうね。クロスのボールペンで書くと太くはっきりと書けます。

当時は名入れという言葉すら知りませんでした。今はというと、妻が町医者の受付のパートをしているので、それこそ、わんさか、 製薬会社様から名入れボールペンを貰い、家の持ち帰ります。

今思うのは、あの時、パーカーの万年筆に名入れしておけば良かった!の一言です。今はもうどこにしまった?のすら記憶すらありませんが、万年筆に名入れしておけば、学生には 高価ですのでずっと持って一生使ったかもしれません。

今日のところは、これで終わり。次回は、名入れボールペンの軸色と文字色の選定の続きです。